村西とおるとジョブズの類似点・相違点(「全裸監督 村西とおる伝」本橋信宏 著)

「お待たせしました、お待たせし過ぎたかもしれません」

「前科7犯、借金50億」が枕詞となった伝説の監督、村西とおる氏の伝記を読み終えました。
世の中的には「AVの帝王」「白ブリーフの下品なおじさん」「昭和最後のエロゴト師」「バブルと寝た男」「ナイスですね」という印象が強い氏ですが、とてつもなく長い話だけれども、破天荒すぎる半生、七転八倒、どんなに転落しても這い上がってくる氏のエネルギーに引き込まれ、読む手が止まりませんでした。1日に5〜6本撮影して編集してた、って?!

元はと言えば別に購入した氏の「応酬話法」の副読本として読むつもりでしたが、日本の80年代からのアダルトコンテンツを追ったルポタージュとしても非常に読み応えがあります。

その中でふと思ったのが、このエネルギーの既視感。スティーブ・ジョブズのそれと被ってしまったのです。

ナイス、ゴージャス、ファンタスティック!

自分の理想のためならどんな手を使ってでも実行する「情熱」と言う名の狂気、
「現実歪曲空間(Reality Distortion Field)」(本書の中では「応酬話法」「村西言語世界」と記されます)を駆使し、
圧倒的な存在感で征服者となり、独裁的に、強烈に事(夢)に突き進む両者のその姿は被るものがあります。
(突き進むところこそ違いますが)

「空からスケベが降ってくる!」

ジョブズが目指したものは「テクノロジーとリベラル・アーツの交差点」、
村西氏が目指したのは「エロスとエンターテインメントの交差点」
(確かに氏の以前は「明るいエロ」とうものは存在せず、「劣情」とか言う言葉しか存在していなかったのかもしれません。Appleが目指したものは「エコシステム」、ダイヤモンド映像が目指したものは「エロシ・・・」と思いかけましたがやめました)

「ああーー スケベスケベスケベスケベ」

一方でジョブズが削ぎ落とす方法で本質を抉っていったのに対し、村西氏は量の中に質がある、物量をひたすら盛る方向に突き進む中で、自身の本質を見つけたようです。
氏の本質は「エロスとは落差」、コントラストであると説きます。
単なる「足の付け根の間」には意味がなく、「あの清楚そうなお嬢さんの」足の付け根の間だからこそ意味があり、ファンタジーをお茶の間にお届けしているのだ、と。
恥じらうのに足を開いちゃう、そのギャップこそが性、いや生であると。
なんだか小説「価格破壊」を思い出しました。

最盛期の村西とおるを知らない人に、昭和を知らない世代にこそ読んでいただきたいのです!
色々無茶苦茶ですが。

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